新婚生活<後編>



「そなたが平知盛公か。」

宴会もそれなりに盛り上がったところで、知盛は何だかやたら髪の長い男に声を掛けられた。

知盛は将臣と一緒に女房に勺をしてもらいながら酒を飲んでいた。その髪の長い男に将臣が声をかける。

「よお、九郎じゃねーか。久しぶりだな。さっき望美と一緒のところを見たけど、あいつどこに行ったんだ?」

(これが源義経か…。)

知盛は将臣が声を掛けたことによりこの男が誰か理解した。

確かに凛とした面立ちで、武将としてはとても優秀だということが一目でわかる。だが、

(まだ子供だな…。)

その真っ直ぐさは少年特有のもので、まだ穢れを知らず、世間の荒波も知らないからこそ出るものだと知盛は直感で感じた。

「望美なら帰った。」

「はあ?帰ったって?!」

将臣があきれたように頭を掻いた。

望美が帰ったとなればここにいるのは無用、とばかりにおもむろに席を立つ知盛。

「望美が帰るということを伝えようと思ったのだが…知盛公には無用だったか…。」

九郎がぼやく。将臣が苦笑いしながら答えた。

「あいつ望美にべた惚れだからな…。今だって家にいれば望美を独占できるのにこんなところにいるから一緒にいれなくて不機嫌だったんだぜ?」

知盛の代りに飲めと杯を差し出す。九郎はためらうことなく飲んだ。

「流石、院が持っている酒だ。かなりうまいな。」

「今日の酒はとっておきの秘蔵の酒らしいぜ?」





「なにこれ…。」

望美が帰ろうと思い渡殿を歩いてるときだった。突然頭から水らしきものをかけられたのだ。

…いや、水ではない。何かしら変な臭いがする。さらにいえば固形物も混じっている。そしてこの臭いはどこかで嗅いだことのある臭いだ。

部屋の中からクスクスといやな笑い声がする。

「あら、嫌だ。汚いわね…。」

「戦神子なのでしょ?美しい香などよりこちらの方がお似合いなのでは?」

声としては美しい。だがその悪意に満ちた言い方にぎょっとしてその部屋のほうを見る。

御簾で仕切られているため顔は見えない。が、中に数人女の人がいるのはわかった。

「一体どういうつもり?」

出来る限り落ち着いて…と自分に言い聞かせ言い放つ。

自分にそれをかけた人は部屋の前で頭を下げている。おそらく命令されただけなのだろう。なので、御簾の向こうに対して言い放った。

「大体これは何?どういうことか説明して欲しいわ」

またクスクスという嫌な笑い声がする。

「あらあら…神子様はついこの間まで戦場に出ていたとお聞きになったのですけど?」

「戦場に馬ぐらい、いましたよね?」

望美の血の気が引くのがわかった。道理でどこかで嗅いだことのある臭いのはずだ。

これは馬の排泄物だ。

一体どういうつもりなのだ、と問いただそうとする前に向こうから声が聞こえた。

「神子様にはここに来るより馬にまみれていたほうがお似合いですわよ?」

「宮中に来るのは不釣合いですわ。」

「こんな方が中納言殿の奥様だなんて、中納言殿が可哀相ですわ。」

なるほど。つまりは知盛に思いを寄せている人の嫌がらせという訳だ。相手にするまでもない。

きびすを返し、無視して帰ろうとしたその時驚くべき言葉が耳に入った。

「私、しばらくしたら中納言殿に求婚するつもりですの。それまでにあなた消えてくださらないかしら?」

何を言っているのだ。流石にその声のするほうを向いた。

「神子様は別の世界から来たとお聞きになりましたから、もしかしたら知らないと思うので教えて差上げるわ。この世界には女にも階位があるの。」

階位…つまり位という訳か。それくらいは望美でも知っている。

「階位は親の代から決められていたり帝が授けたりするの。今のあなたには位がないのよ。そんなあなたが“中納言”である知盛殿の北の方というのはおかしな話なのよ。」

隣にいた別の女房が次々口を開く。

「その点、この方は上皇殿の孫娘であるから女の中でも最高級の位の持ち主なの。この方が北の方になれば中納言様に何もかもを差上げる事ができますの。地位、名誉…。」

「でも、あなたが北の方であり限りそれは望めないことですよね?」

「本来この御所に入れるのはそういう身分のあるものだけですけど、あなたは源氏の神子ということで特別に入れるのよ?現にここに入ったとき官位を言われなかったでしょう?」

「あなたが隣にいる限り中納言様は出世など一生できないでしょうね?」

「どちらが知盛殿の隣にいたほうが中納言様にとって幸せか…考えるまでもないことですよね?」





「何をしている?」



呆然と立ちすくむ望美の後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。

「あ…知盛。」

知盛はちらりと御簾のほうを見るとそこにいた女たちはそそくさと退散して行った。

そしてさも当然のように望美に近づく。

「あ、だめ!来ないで!!」

この状態では近づかれたくない。馬の排泄物にまみれた自分など見て欲しくもないし、触られたくもない。

だが知盛はまったく望美の意見などお構いなしに近づいてくる。

「汚いから!」

半ば悲鳴のような声を上げたのだがそれでも知盛は全く気にしない。望美の腕を取り軽々しく抱き上げる。簡単に言えばお姫様抱っこという奴だ。

「知盛。おろして。」

知盛は望美を抱き上げたままその場を去っていった。腕の中で望美がもがいているが全く気にした様子は見せない。大暴れしそうな望美を更に力をこめて抱く。これ以上動いたら知盛まで馬の排泄物で汚してしまう…。そう思った望美は仕方なく抵抗するのを諦めた。



望美と知盛が家に着くと知盛は望美を抱いたまま湯殿に連れて行った。この家の湯殿は京の郊外にありその近くから湧き出している温泉を使用している。なのでいつでもお風呂は沸いていた。知盛は器用に望美の服を脱がし始める。

「知盛いいよ。自分でするから…。」

そういって知盛を制止しようとするが全く聞き入れない。

「知盛ってば!」

「うるさい。」

その言い方にびっくっとする。こんな言い方をされたのは結婚してから…いや、どの時空の彼からも言われたことがなかった。突き刺すような声。およそ感情の起伏がないと思われる彼が発した怒りの声だった。望美は驚きのあまり声が出なかった。

知盛は望美の服を脱がしきると、湯船からお湯をくみ上げ髪についた馬の排泄物を綺麗に取りのぞき始めた。知盛の手が汚れるだとか、自分で出来るだとか、そういう言葉が浮かんだがあえて飲み込んだ。

どれほどの時間が経っただろうか。望美の髪についた排泄物を綺麗に取り除くと、知盛は顎で望美に湯船に入るよう促した。そしてそのまま自分も服を脱ぎ湯船に入る。

何となく気まずい雰囲気が流れる。望美はやっとの思いで口を開いた。

「…手間かけちゃって、ごめんね?」

知盛はちらりと望美を見るとその腕を取り自分のほうに引き寄せる。そのまま望美の首筋に顔をうずめた。望美は抵抗しなかった。

「手間…ね。」

「うん…知盛まで汚れちゃったし。あと、折角服選んでくれたのにそれも汚しちゃって…。」

「あんなのはいつでも変えられる…。」

「そんなことないよ。結構真剣に選んでくれていたみたいだし。駄目にしちゃって…。だから怒っているんでしょ…?」

ふう…とあきれたようなため息が知盛の口から漏れた。

「え…違うの?」

「さあ…どうだろうな…。」

「もうはっきりと教えてよ!」

望美は首筋にうずめていた知盛の顔を両手で挟み、自分のほうを向けさせる。二人の目が合った。きらきらと輝く翡翠色が知盛を捕らえる。



…そう、自分はこの瞳に捕まったのだ。



真っ直ぐでひたすら真っ直ぐで、強いこの瞳に。でも、どこかに影が残る、翡翠色。

ばさり、と、外から鳥が飛び立つ音がした。

ぴちゃんと望美の体から水滴が落ちる。

そのまま顔を近づけて、目のくらむ様なキスをする。



落ちて、落ちて、落ちて、落とされて。



「お前は…何も言わないからな…。」

そう、いつだって望美は肝心なことは何も言わない。

宴が始まる前、あまりにもいきなりなのに愚痴を一つもこぼさないし、

宴の最中他の女と一緒にいたのに何も言わないし、

こうやって惨めな思いをさせられても知盛に対して涙も見せない。

「何、それ?」

「確かに、口うるさい女は好きじゃ…ないさ…。」

口数が多い女は好きじゃない。時間さえあれば人の噂話ばかりするような女にはほとほと嫌気が差す。



だが、それが望美なら。

どんなわがままだって、

どんな不平不満だって、

きっと聞き入れてしまうだろう。

たとえばこの宴だって望美が「行きたくない」と言えば行かなかっただろうし、

「他の人と一緒にいないで」と言えば、ずっと望美と居ただろうし、

「私に馬糞をかけるような人なんて許さない。」と言えば相手がどんな女だろうと切りかかっていただろう。

そのくらい、自分はこの女に堕ちているのに。



我侭だろうが、意地悪だろうが、甘えだろうが、きっと何でも受け入れてしまう。

「お前なら、きっとその口煩ささえも許してしまうだろうな…。」



「知盛…?」

望美の声も、笑顔も、優しさも独り占めしたい。

望美が傍にいないのならきっと自分は死んでいるのと大して変わらない。

望美が傍にいないと食べ物の味すら変わってしまうほどに。

望美に溺れている。



生まれて初めてこんな感情を持った。

望美が幸せなら自分も幸せだとか、望美を傷つける奴は許さないだとか。

人間らしい感情が次から次へと溢れて止まらない。

だから、

「言いたいことは何でも言えよ。」

望美一人くらいなら、いつだって受け止める。





風も、水も、空気さえも一瞬動きを止めた。

時が止まったのかと思った。

そのくらい衝撃だった。

優しい瞳で、優しい声で、優しいぬくもりを感じながら、

こんな言葉、言われると思っていなかった。



…うれしい。



思わず溢れてきた涙を隠すように、知盛の首に抱きついた。

「じゃ…ちょっとの間抱きしめていて?」

そうすれば今日あった嫌なことだって忘れられる。

あの女の人達に言われた言葉だって、全部跳ね返せる。

幸せな気持ちになれる。

「…仰せのままに。」

背中に回された腕が、お風呂のお湯よりもずっとずっと気持ちがよかった。





おまけ