目が覚めるとそこにあったのは白いシーツに白いカーテン。

そしてそこには不似合いなほどの、ピンクの玩具だった。



何かに包まれて



寒かった。

凍えるかと思った。

でも、信じていたから、ちゃんと待っていた。

そばにおいてあったおにぎりにも手をつけずに。

「ちゃんと待っててくれたのね。」

その一言だけが聞きたくて。



その日は関東で一番の冷え込みだったと後に知った。

雪までもちらついていた。

あの人は珍しく笑ってこういった。

「ちゃんと待っているのよ。」

安いぼろアパート、布団すらろくにない部屋。

その割にあの人はいつも美しい洋服を身にまとい、念入りに化粧を施す。

その、いっそまがまがしいほどの赤い口紅だけが印象的だった。

笑ったところを見たことがなかったから、その笑顔が例えニセモノだとわかっていても嬉しかったのだ。



だから、待っていたのに。



自分を発見したのは近くの民生委員だったと言う。何故そんな人が俺のことを知っていたのかは甚だ疑問だが、とりあえずその人が命の恩人ということになるのだろう。

当時4歳の俺はその凍えそうな部屋で、それはありえないほどの体の細さで、まるで猫のように小さくなって寝ていたらしい。いや、寝ていたというよりは意識を失っていたというほうが正しいのだろう。そして救急車でそのまま病院に運ばれたのだそうだ。

当然俺にその頃の詳しい記憶などあるはずもなく、これは後にその民生委員から聞いた話だ。そのあと、俺は保育園みたいなところで母親に会わないまま半年過ごした。そして半年後迎えに来た母親と対面した。その時、きっと俺の心の中で何かが壊れたのだろう。



冷たい目で見る母親からは詫びの一言もなかったからだ。



シンジテイタノニ。



その後一体どんな手を使ったのか知らないが、俺は保育園に途中入園させられ、その後聖帝学園の小学校に入学させられた。母親は相変わらず家にはいなかったが、給食が出る学校で自分が餓死することは免れた。金持ちのお坊ちゃんに囲まれて、低学年の頃は文房具などを貰っていたりした。今にしてみればそれは子供心のたわいもない思いやりの気持ちだったのだろうが、俺にしてみれば其れは屈辱以外の何者でもなかった。

新聞配達などのアルバイトを始めたのは小学5年生のとき。母親は仕送りをわずかだがくれていたが、それに手をつけることが馬鹿らしく思えてきた。中学のときに家を出る決心をした。そして、音楽に出会った。



あの時壊れた心が戻るとは到底信じられない。



あのときの記憶が残っているはずもなのに病室だけはやたらリアルに覚えている。

白いシーツに白いカーテン、そこには不似合いなほどの、ピンクの玩具。

きっと母親に裏切られた…と最初に思った場所だったから印象に残っているのだろう。





ふと、目を覚ました。

汗を沢山かいている。嫌な夢を見たからだ。

今日は何をしてすごしたっけ…?と、ぼんやりする頭で考える。

(大学に行って、バンドの練習をして、…ああ、帰りに悠里と待ち合わせして、そのまま悠里の家に泊まったんだ…。)

少しさえた頭で周りを見渡すと、白いシーツに白いカーテン。

そしてその横にはピンクの玩具ではなく、ピンクのパジャマに包まれた年上の彼女が気持ちよさげに眠っている。

壊れた心がそっと包まれて、そして…。





あとがき

いつか、そう遠くもない未来に、自分の子供を見て、

自分を生んでくれた母親に対して、どんな事を思うのだろうか?

壊れた心の破片が少しでも埋まればいいと思う。