しあわせ



「ただいま」

疲れて帰って家のドアを何とか開ける。

いつもなら帰ってくるはずの「お帰りなさい」と言う声がないことにいらっとする。

「全く何をしてい…る…。」

そこには机の上で熟睡する悠里の姿があった。

その机の上には、大量の参考書、パソコン、ノート、そして資料が載っていた。





聖帝高校を悠里の力によって卒業した後、翼の大胆すぎる告白から二人は付き合い始めた。とは言うものの、悠里はB6を(特に翼を)無事卒業&大学に合格した実績が買われまたもやClassXの担任になった。前回は特にいろんな意味で際立ったB6のうち一人を卒業させればよかったのだが、次は相対的にクラス全員の成績を上げる必要性があり、また、別の意味で大変だった。(それでも、意味不明な巨大な壷が机の上にあったり、猫が侵入したり、スーパーのチラシとにらめっこしたり、授業中水鉄砲を出したり、女装したり、白物召喚したりする生徒がいなかった分随分ましだったが。)

翼のほうも、大学の勉強のみならず父親の仕事を手伝い始めたりと忙しくなり、お互い疲れた体を引きずって外で会うことが多くなった。最初に痺れを切らしたのは翼のほうで、2学期が始まる頃には翼のマンションで同棲することが決まっていた。





机の上に散らばっている参考書を広げる。悠里は英語教師なはずなのにそこにあったのは生物のテキストだった。卒業してから何年もたち、更に実生活ではほとんど使わない生物の事など忘れてしまったかと思ったが意外と覚えているものだ。

「ソラマメの法則」「惜しい!メンデルの法則!では、この法則の内容は?」「ソラマメはうまい。」「どうしてそうなるのー!」

そばにある歴史の教科書を開く。

「フランス革命で処刑された王妃の名前は?」「マリー」「間違ってないけどちゃんと苗字も覚える!じゃ、その王朝は何朝?」「マイセン朝」「誰が食器の銘柄を言えと言った!!」

過去の絶妙な飴と鞭が翼の肩を震わす。今にして思うと自分はなかなか恥ずかしい間違いばかりをしていた。





翼の家に荷物を運んできた日。やたら重いダンボールがあることに気がついた。

「おい、悠里。これはやたら重いが何が入っているんだ?」

「えー?ああ、多分本だわ。」

本などというから、もしかしたら小説でも入っているのかと思った。自分はそういった物語の類は読まないので、悠里の趣味に合わせて読むのも面白い…などと思った自分が馬鹿だった。

「何だ?!この本は?!」

そこにあったのは「学習指導要項」「憲法」「指導実践の手引き」「教育の歴史」…などなど、

どれも分厚い参考書ばかりだった。

「これらは…大学の図書館にありそうなものばかりだな…。何故こんなものを持っている…。crazy…頭が痛くなりそうだ…。」

「私、教師なのよ?これくらい当たり前でしょ?」

そうして悠里はそれらの本を寝室の本棚に片付けようとしていたので、それを慌ててとめた。何とかこれらの本が隣の部屋の本棚に並んだとき、翼は心から安心した。





 悠里の寝顔を改めて見る。出会った時よりも少し年を取って。「翼君はいくら年を取ってもそのまんまな気がするけど、私はそうはいかないわ…。目の下のシワが…。」などとぶつぶつ言う回数が増えた。「どんどん肉が垂れ下がるのよね…」などといい、夜にせっせと腹筋を鍛えたりするから面白い。ついに、寝る部屋を別にしないか…と言われたのには驚いた。それだけは絶対に許さない、と心に誓っている。





付き合って2年もたつと翼は本格的に悠里にプロポーズした。それなのに彼女の返事は「NO」。理由は「せめて翼君が大学を卒業するまでは、いくらお金があったとしても嫌だ。」と言うのが彼女の理由だった。けじめのつもりだったのだろう。

しかし、本音はそれだけではないのも翼は気づいていた。悠里は、自分より6歳も年下の彼を自分が縛り付けていることに罪悪感を覚えていた。もっと若くて可愛い子が現れたらその子に行ってもおかしくない、と考えているのだ。翼にとってはそんなこと微塵も思っていないどころか、悠里以外の女など考えられないのに。そんなことを思う彼女に自分は信頼されていないのかと怒ったり、彼女を安心させられないことに悲しんだり、彼女と同じようにホントは年上の頼れる男のほうがいいのではないかと不安になったり。それでも必死に口説き落として、ようやく結婚にかぎつけたのは、プロポーズして半年後のことだった。





 今住んでいる家は都心から少し離れたところにある。閑静な住宅街の中そんなに大きくもない家で暮らしている。平屋のその家は過去『バカサイユ』と呼ばれたそれで。B6が卒業し3年もすると取り壊しの話が出た。悠里が翼にその話をすると翼はすぐにバカサイユの移築を検討し、二人の新居に変えてしまった。多少部屋を継ぎ足しし、今ではまさかこの建物が過去学校の中にあったとは思えないだろうと思う。





 結婚式は小さな教会で行った。悠里は翼のことだからド派手にするといって譲らないかと思ったが、意外にそうではなかった。会場には悠里の両親とB6のメンバー、永田に聖帝高校の同僚、悠里の友人、そして以外にも翼の父親が参加した。二次会も派手にではなく、山田さんの経営するレストランで、暖かい雰囲気の中で行った。あまりにも意外そうな悠里に対して、内緒にしておくつもりだったのに…と思いつつ翼は暴露してしまった。

「きっと、お前はこういうほうが喜ぶと思ったんだ…。“手作り”が好きなんだろう?」

高校の文化祭。中身を派手に作り変えようとした翼を本気で怒った悠里。そのときの本気の顔が、本当に悲しそうな顔が、頭から離れなかった。その後もあの紙の花を大切に取っておいている彼女を知っていた。だから結婚式も派手にするより、きっとこの方がいいと思った、遊里は喜ぶと思った…。そういう翼に悠里は、翼の腕の中で本当に幸せそうに泣き続けた。





 あれから本当に何年もの月日がたって、二人とも少しばかり年を取って。気づけば自分の人生の半分以上は悠里と過ごしたことになる。それなのにこの思いは色あせることも衰えることもなく、むしろ日々深みを増している。

「あ…父さん帰ってきていたんだ。お帰り。」

「パパーお帰りなさい!」

継ぎ足しした部屋から顔を覗かせるのは自分の息子と娘。仕事が忙しい自分はこの二人の子供にあまり構えていないことが気がかりでしょうがない。自分が幼少期寂しい思いをしてきたから、時間がある限りは一緒にいるように心がけているつもりだ。それでもつい小言が口から出てしまう。

「こんな夜遅くまで何をしていたんだ?宿題なはずないだろう?」

「あーひどい。宿題と言えば宿題をしていたんだよ?」

娘が口を尖らす。この仕草は母親である悠里そっくりだ。

「ほう…?どれ…?」

思わず押し黙ってしまう。二人の部屋を覗けばいつかの自分を思い出す。そこは床一面あの“紙の花”が散らばっていた。まるで自分の高校の卒業式の前日の部屋と同じで。

「明日、学校の行事で使うから頑張って二人で作ってたの。」

そう微笑む自分の子供たちに声を失う。





「二人とも、作りすぎよーーー!」

後ろから突然聞こえるいとしい人の声。きっと卒業式の日、自分の部屋を見せたら同じように彼女はこんな風に言っていただろう。そんな想像がまた翼の心を温かくする。

「全く、どっかの誰かさんに、することはそっくりなんだから。」

そう言ってちらっと悠里が自分のほうを見る。こればっかりは反論できずにプイと横を向くことしか出来なかった。

「二人とも自分の部屋は自分で片付けて、もう寝なさい。」

そう言って悠里は部屋のドアを閉めた。

するとすぐ、翼の腕が悠里の体に絡まる。軽く口元にキスを落として。

「今日、まだ聞いてない」とすねれば、悠里は苦笑しながら答えてくれる。

「お帰りなさい、翼君。お仕事お疲れ様。」

そう言って柔らかなキスをする。





こうやって年月を重ねて、暖かい日々は続いてゆく。

リビングには二人の写真と家族の写真とB6との写真と。

それに並んで、あの紙の花がきちんと並べられて飾られている。

これからも、きっとずっと並んで歩いてゆける。