桜の味
「これは、土産なんだが、どうだ?」
「は…?」
春のうららかな日。突然呼び出された斎藤は何のことかわからなかった。
確か、彼は前日まで外に出ていた。比較的長い出張だった。
この、貧しい斗南で、何とか千鶴と二人で生活できているのは、この彼のおかげであることはまちがいない。時折飯を分けてくれたり、布を分けてもらったり。家を守る夫としては情けないと思う気持ちがないわけではないが、大変有り難いと思っている。
この方は、本当に懐も深いし信頼に値する方だ。
仕事は確実にこなすし、周りを見て自分の役割を確実にこなす。
必要とあれば目上の人だろうと、きちんと自分の意見を伝える。
しかし、1つ難点がある。
「あの可愛い奥様の分もあるからよろしく言っておいてくれ。」
と、まあ、千鶴の事を非常に気に入っており、始終この調子なのだ。
彼は妻帯者だ。その奥方にも何度か会ったことがあり、非常に仲睦まじかった。そういった意味では何の不安もない。
そして確かに、自分の妻を誉められてうれしくないはずがない。
しかし、こんなに満面の笑みで、しかも頬を染めて話されると、かえって妙な気分になり、自分のなかの独占欲が、強くなる。…自分にこんな感情があること自体驚きだ。
餅が固くなると悪いからさっさと奥方の元へと帰れと追い出され、非常に天気のよい道を歩く。いつもなら、まだ仕事をしている時間なため、こんな日の下を歩くのは久々だ。羅刹となってからこの日差しがつらかったはずなのに、今では全く影響もない。羅列の毒が弱まっていることを痛感する。
温かい風が非常に心地よい。これまで雪に閉ざされ、冷たい風が吹き続けていたこの村に、こんな穏やかな風が吹くとは。そう、この寒い北国にもきちんと春は訪れる。いや、寒い時期が長いからこそ、春がとても貴重なものに感じるのだろう。
足もとの蒲公英にも、菫の花にも目がとまる。
小さいのに、鮮やかに太陽に向かって咲く。
そのまっすぐな姿にはどこか親近感を感じる。
と、自分の家が見えてきた所で足を止める。
千鶴が、洗濯物を干しているのが目に入った。
屯所に、新撰組に身を寄せていた頃もああやって隊士の洗濯をしていた。
しかし、あの頃とは違い彼女は柔らかい女子の衣服に袖を通し、
毎朝自分が結いあげた髪を柔らかな風になびかせている。
そして自分達だけのものを、何よりも穏やかな表情で整える彼女を見ると心が落ち着くのを感じる。
ふと、千鶴がこちらに視線を向ける。自分の存在に気がつくと喜びと驚きの入り混じった表情をする。
「はじめさん、お帰りなさい。早かったですね?」
「ああ。」
駆け寄ってきた彼女を自分の腕の中に収め、額にやわらかな口づけを一つ。
最初のころは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたが、今では穏やかな笑みを浮かべるようになった。…うっすらと頬が赤いが。
「今日は、どうしてこんなに早かったんですか?」
縁側に腰掛け外を見ていると、千鶴がお茶を運んでくる。
新選組に居たころから彼女はこうやってお茶を入れてくれていた。一の好みをよく理解したお茶だ。
「これを。いつものようにお土産だそうだ。」
彼の持ってくれた土産を差し出す。千鶴が包みを開ける。
「桜餅…ですか?」
「そのようだな。」
「いつも申し訳ない気がしますけどうれしいですね。早速いただきましょうか。」
「ああ。」
二人で同時に桜餅に口をつける。
と、同時に違和感に気がつく。
塩に漬けた桜の葉に包まれたそれは確かに桜餅に違いないだろう。餅も桃色だ。
だが、
「あれ…餡…が入ってないですよね?」
「…ああ。」
さすがにこの斗南の財政状況で、本物の桜餅は手に入らなかったのだろう。
それでも、自分たちを思って購入してくれたのだ。
その気持ちが、温かく、そしてうれしい。きっと千鶴も同じように感じたのだろう。
ふんわり笑ってやさしい声で言う。
「でも、おいしいですね。」
「ああ。」
ふと、あの頃を思い出す。
この空の色のような隊服を身にまとっていたあの頃。
菫の花にも蒲公英にも、風にすら気がつかなった。
目の前にある自分の信念さえ信じていれば、自分は幸福だと思っていた。
やわらかな香りにも、穏やかな時間も必要ないと信じていた。
あの時、気まぐれのように千鶴と二人で食べた桜餅をふと思い出す。
あの桜餅よりも、今のほうが甘いと感じるのは、
このやわらかな時間のおかげだろう。
隣に座るやわらかな彼女に、ひとつ笑みをこぼした。