涙の色
ゆっくり彼のことを思い出す暇なんてなかった。
なのに彼の顔を見ただけでいやでも思い出す。
初めのあの日。
突然の出来事。
そして最後の言葉。
永遠の別れにしてはやけにあっさりした、言葉。
もう、残り香も思い出せない。
「こっちはすごい雪が降るんだね。」
「そうですね。神子様、体が冷えますので、これを。」
「ありがとう。」
銀が差し出した上着に袖を通す。その服は薄い赤で、小さな花があしらわれていた。
しんしんと積もる雪は生まれ育った鎌倉にはないもので、望美にとってはとても珍しかった。
空を見れば降る雪が落ちているだけに過ぎないのに、どうも自分が空に昇っていくような、そんな妙な錯覚を覚える。
このまま昇ってしまえばあの暗い雲にも手が届くだろうか。
不思議な感情を思い出される。
「冬ってもっと晴れているものだと思っていたよ。」
こんなに暗い雲が立ち込めるものだとは思っていなかった。
望美の知っている冬は真っ青な空で、更には暗い色をした海だった。
暗いのは海であって空ではなかった。
こちらは暗いのは空で、地面は真っ白な雪に埋め尽くされ、色の対比が全く違う。
春になればこの地面は穏やかな、生への喜びに満ち溢れ輝きだすのだろう。
あの時は、空も、海も明るかった。
ただ、自分の存在が、自分の周りだけが、死に支配されていた。
血の色すら、鮮やかだった。
そう、この、服の色のように…
「神子様。」
銀の声にはっと気づく。自分は、今、ナニヲカンガエテイタ?
「え…っと、銀?」
柔らかく、自分の隣で微笑む人。
初め見たとき、彼に似ていると思った。
声、容姿、何もかも。
でも、彼じゃない。
彼はそんな風に微笑まなかった。
彼はそんな風に優しくなかった。
彼はそんな風に…寂しそうじゃなかった。
彼は、悔しいくらい前しか見ていなかった。
彼の目には、私は、映っていなかった。
ふっと、涙がこぼれた。
駄目、泣く訳にはいかない。
泣いたって何も変わらない。
泣くのは―――――――
「涙は流してしまったほうがよろしいですよ。」
銀が優しい笑顔で言う。
「わからないの、何故、私は、泣いているの…?」
悲しいわけじゃない。
悔しいわけじゃない。
では、何で泣いているのか…。
「そのわからないものも…全部涙で流してしまえばいいのです。」
「しろ…が…ね…。」
真っ白の雪のなか、すべての感情を消してゆく。
銀の腕の中は暖かくて、柔らかい香りがした。
すべてを、溶かしてくれる。
彼に、やっと、さよならが言えた。
そんな気がした。
雪はその晩降り続け、あたりを一面、真っ白に染め上げた。
そこには、どんな色も、どんな香りも、なかった。