雨の日の来訪者





しとしと、しとしと、しとしと、

雨が降る。

雨が降りる。

何を携えて降りるのか、

何を地面に溶かしてゆくのか、

きっと誰にもわからない。

時間がすぎ、

雨は降り続ける。



「こんにちは、お久しぶりです。」

それは何の前ぶれもない訪れだった。

そう、それは突然咲く紫陽花のように、

突然色が変わる、紫陽花のように。



「これは、これは…また見事なお庭ですね。」

「ですよね!色とりどりの紫陽花が鮮やかで。」

「ええ、まるで君の表情のように色鮮やかで。」

「弁慶さん…」

じろり、知盛が本気の殺気を向けても弁慶は気にもせず、あの優しい笑みで望美の方ばかり見ている。

「あ…ごめんなさい。折角弁慶さん来てくれたのに、お茶も出さないで。今用意します。」

「おや、お構いなく。」

「今用意します。」

弁慶の言葉なんて聞くことなく、いそいそと望美は席を立つ。





望美がいなくなると部屋には弁慶と知盛の二人きりになる。

急に部屋の空気が二度ほど下がったような気がした。

「…で、この家を訪れた理由は?」

「望美さんの顔を見るためですよ?」

本気とも嘘ともとれない表情で弁慶が答える。

「今は義経殿と共に鎌倉にいるのではなかったか。」

「ええ、今日は久々の京です。」

「梶原にでも会いに来たか…。」

「ええ、彼のところには譲くんもいますしね。」

「…あの家には最近沢山の餓鬼が着ているらしい。」

「らしいですね。譲君が何でも勉学を教えているのだそうで。」

「誰から聞いたのだ?」

「九朗からですよ。」

「なかなか面白い餓鬼もいるようだがな。」

「へえ…?」



「ところで、将臣君は元気ですか?」

「ああ…。」

「最近法皇殿になにやらイロイロとご相談していると聞いていますが…ね。」

「有川がか。」

「ええ、何でも福原のほうと頻繁に連絡を取っているようですね?」

「ほお…。」



「…ここで腹の探りあいをしてもしょうがないですね。」

弁慶がやれやれといったようにため息をつく。

全くだと言わんばかりに知盛も外を見る。

外には見渡すばかりの紫陽花。

「そういえば、紫陽花が色を変える理由を知っているか…?」

何でもない事のように知盛が聞く。

「いえ。」

「土だそうだ。」

「土?」

「有川が言っていた。何でも土の性質によって紫陽花は色を変えるのだという。」

「へえ…初めて知りましたよ。」

「お前は、今どの色に染まっているんだ?」

「どういう意味でしょう?」

「出身は熊野だと聞いた。平家が栄えていた頃屋敷に出入りしていたな。今は鎌倉のお膝元。お前が咲かせている色は、青か?赤か?それともまた別な色か?」

「さて、どうでしょうね…。」

今度は知盛がため息をつく番だった。



「解せんな…。何故お前ほど頭の切れる男が、あの坊やの下につく?」

知盛は一度九朗に会っている。その時彼は確かに優秀な武将であることはわかった。戦場に立てば間違いなく武勲をあげるだろう。そして彼の下には彼の強さを慕って多くの武士がその命を投げ出すだろう。だが、きっとそれだけではない。彼の人柄に引き付けられるものもきっと多いに違いないと思った。

しかし、それだけでうまくいくはずがないことを知盛は本能で知っている。時には策略とだまし討ちが必要なことも。

だが、この目の前にいる男なら、それらをうまく利用し、そして九朗をおしのけ彼が上に行く事だってきっと難しくはない。もしくは九朗を利用し弁慶が裏から操る事だって…。

だが、彼はそれをしない。していない。

頼朝の策略から出来る限り逃れるように指南しているに過ぎない。

それは何故なのか。



「きっと、あなたが将臣君の傍にいるのと同じ理由ですよ。」



いつも相手の目を見て話す男が、紫陽花を見ながら言った。

どうやらこれだけは真実らしい。

この男も、随分生きていくのに不器用な男だ、

そう、思った。





「ごめんなさい、お待たせしました!」

望美が勢いよく部屋に入る。

下がっていた気温が上がっていくのがわかった。



それからしばらく噂話をして時間がすぎた。

そして、弁慶が帰り際におもむろに書状を取り出した。

「ヒノエからですよ。」

「ヒノエ君から?」

「何でも“でーと”のお誘いだとか。」

デートという言葉に知盛が反応する。

この男はそういう言葉だけはやたら飲み込みは早いのだ。

「ううう…達筆すぎて読めない…。知盛…読んで。」

「逢引のお誘いの文を別の男に読ませるとは、な。」

「読めないんだもん。しょうがないじゃん。」

「くっ…。どれ…」



“麗しの姫君、久しぶりだね。元気にしているか?きっと姫君は変わらず美しいままだと思うけどね。

あの甲斐性のない旦那にそろそろ飽きてきた頃なんじゃないか?

そこで、そんな姫君を熊野に招待するよ。今、京は梅雨の季節だから、それが終わった頃はどうかな。夏の京はとてもじゃないが人が住むような暑さじゃないよ。もちろん熊野での宿は用意しておく。

その華のような笑顔を見せに来てくれよ。では、返事を待っているよ。”



「…夏に熊野へ来ないかというお誘いだ。」

余計な所は省いて望美に伝える。

「夏に、熊野へ?」

「おや、いいですね。夏の熊野は気候もいいし。確かに京よりは暑くないかもしれないですね。」

弁慶がにこやかに賛同する。



夏の、熊野。



すべての始まりの地。



彼に恋をした、あの、場所に。



「行こうか、知盛。」



また、夏が始まる。



新しい、夏が。